【ワーホリの感想】ワーホリ行ったら人生変わった。

 

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3年前の今日、私のオーストラリアでのワーホリ生活が始まった。 

2014年2月18日に、私はオーストラリアのシドニーに、ワーホリメイカーとして降り立った。 

たくさんの不安な気持ちと、ちょっぴり入り混じる期待感。外国でひとりでやっていく恐怖感と、ワクワク感。 

今までの海外経験といえば、英語が堪能な友人と一緒に行った、ドイツ旅行だけ。

 自分一人で海外に来るのは初めて。

 当時、私には婚約相手がいて、その彼は私のワーホリに猛反対していた。「寂しいから行かないで欲しい。海外になんて、行く必要ないでしょ?」って言われてた。

私は彼に「海外には、昔から漠然とした憧れがあった。今行かないと、絶対に後悔するから!」って何度も何度もお願いしたけど、彼があまり海外自体に興味がない人なので、最後まで彼の理解を得ることは叶わなかった。話は平行線を辿るばかりだった。

話が一向に進まなかったので、私は本当は一年間滞在したかったのに、「じゃあ、間を取って、半年間だけワーホリさせて!」って頼み込んで、なんとか許可をもらった。(当時の私は、マジで他人軸で生きていた。今の私だったら、どんなに彼に反対されても、自分が住みたいだけ住む。)

 結局、その彼とは渡豪後すぐお別れしてしまったので、私は居たいだけ(つまりはマックスの二年間)オーストラリアにいれることになったのだが。

 

  

このオーストラリアワーホリ生活。

  

 

マジで楽しすぎた。

 

 

そして、最高に私の人生を変えてくれた。よく、「ワーホリ行って、何が変わりましたか?」って聞かれるけど。英語が話せるようになったとか、海外の文化を知れたとか。そんなテンプレみたいな変化は、もはや私にとって些末なことで。 

私にとって、一番変わったこと&大事なことは…

 

本当の自分に戻れた。ということ。

 オーストラリアで本当に色んなことがあった。自分の快適な居場所(日本)から離れ、様々な価値観を持つ人と出会うことで、強制的に、自分の内面と向き合わざるを得なくなった。 

そうすると、自分で自分のことが、どんどん良く分かるようになっていった。

●何を「当たり前」だと思っていて、何を「非常識」だと思っていたのか。

●何が好きで、何がキライか。 

●どんな人が好きで、どんな人とは一緒にいたくないのか。

そんな小さいけど、大事なひとつひとつが、どんどん洗い出されていく。クリアになっていく。

もちろんこれは、日本国内にいても、起こり得る変化だと思う。何も、海外に出たから特別に起こる変化では当然ない。「海外に行かなきゃダメだよ!」なんて、まくし立てるつもりは毛頭ない。

ただ、海外に住んじゃった方が、自分にとっての異物がガンガンぶつけられてくるから、そういった変化が起こりやすいように思う。「強制自分見つめ直しマシーン」にでも乗せられるかのような感覚。

もちろん、海外にワーホリに来ても、働いているのはジャパレスで、遊びに行くのも日本人だけ、しゃべるのも日本語だけ…っていう、日本にいるのとあまり変り映えのない生活を送っていたら、別にワーホリ後もなにも変わらないと思うよ。

 

でも、まぁあくまで私の場合はだけど、ワーホリに来て、なるべくローカル社会に飛び込んで、オーストラリア社会を感じるように心掛けていたからさ。当然、色んなトラブルやハプニングに遭遇していったよね。それで、それらの事を通じて、自分で自分のことが、よく分かるようになっていったって感じ。

日本にいても起こった変化かもしれないけれど、そのスピードが劇的に早まったことだけは確かだろうと思う。慣れ親しんだ東京にいては、そういった価値観を根底から覆されるような、魂を揺すぶられるような体験はしづらいから。

 

本当の自分って?

 じゃあ、海外でワーホリをして、具体的に、どういう自分の本質に気付けたのか?一つ一つ、具体的に書いていこうと思う。 

①絵や文章を書く(描く)のが大好き。

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思えば私は、子供の時から、ずーーーっとお絵かきをしていた。起きている時は、ずっと紙に何かを描いていた。

 小学生の時、スーパーファミコンの「いただきストリート」にハマっていたときも、他のコンピュータープレイヤー(AI)が操作してる時は、つまらないので、そのわずかなスキマ時間すら、お絵かきに興じていた。

 あんまり絵を描いていたので、お母さんに「絵ばっかり描くのはやめなさい!」と怒られたくらいだ。ちなみに、ウチの親はかなりの放任主義で、昔から門限などなく(中学生の時に2~3日家に帰らなくても何も言われないレベル。)普段、マッマが怒ることなどめったに無かったので、なぜ「絵ばかり描いている」という理由で怒られたのか未だに理解できない。

 

文章を書くのも大好きで、小学生の頃は、小説をノートに書いて、友達に見せていた。

 だけど、本当にいつからかは分からないんだけど、「そんなことをしていてもしょうがない。意味がない。」って思いはじめ、やらなくなってしまった。

 

 自分の本当の情熱はそこにあるのに、それを無視してしまったのだ。

 

だからずっと、高校卒業したあたりから「自分は何がしたいのかわからない」が口癖になってしまっていた。自分で消去したくせに。 

だけど、オーストラリアの雄大な自然に囲まれながら、農業をしていたら、ふと思い出せたんだよね。「あ、自分、絵と文章書くの大好きだったわ。てか、漫画家になりたい。」って。

 それは本当に、ふっと心の中から出てきた。本当に「思い出した」という表現が一番しっくりくる。

 自分の大事な想いに気付けたから、今はまた絵を描き始めたし、こうしてブログで文章も書いている。オーストラリアに行ってなかったら、未だに「自分が何をしたいかわからない」ってぼやいたいたかもしれない。

 ほんと、ワーホリしてよかった!!

 

②本当はめっちゃ腹黒い(笑)

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今思えば、日本にいた頃の私は、「周りの人に迷惑をかけてはいけない」という常識や、他人からの目線ばかりを気にして、分厚いイイコちゃん仮面をつけていた。

 本当はあの人にイラついているのに、「他人に負の感情は持ってはいけない」とか思ってそれを表に出さないようにするようなクソ偽善者だった。スピリチュアルをかじりまくって、盛大にこじらせてた感じ。

ようは自分に自信がないから、「私は美しい心を持っている、もしくは持とうと努力をしている最中」ってことにして、等身大の自分から目を背けていたんだよね。

人間なんだから、汚い感情も持っていて当たり前。自分に自信のある人は、そんな自分の心の醜悪さも受け入れている。

 

なんでこれに気付けたかっていうと、自分に感情に正直な日本人女子に、ワーホリ中に出会えたから。彼女、当時若干二十歳にして、本当にゲスでクズ。他人のことなんか一切気にしないし、自分の欲望のままに、思ったこと全部口にする感じ。

 最初はそんな彼女の生き方に反感しか持たなかったけど、付き合っていくうちに、「私も昔はそうだった」って気付けた。

 私の中にも、ゲスな感情はあって、でも私はそれに蓋をして、隠しているだけ。だから腹の中はどす黒くで、真っ黒に腐敗して、ドロッドロに悪臭を放っている。

でも、彼女は、思ったことを全部口に出している。どんなゲスいことでも。だから表裏がなくて、腹の中は逆に真っ白。マジで超腹白い。

 

そんな彼女と一緒に過ごしていたら、自分の性格の悪さに気付けた。「外面だけ良くして、自分の醜い感情からは背を向けてるなんて、そっちの方が、よっぽどたち悪いやん!」って(笑)だから、彼女と出会ってからは、少しずつ、自分の本音を出すようにした。腹黒い、真っ黒い自分の感情も出すようにした。

それで嫌われるなら、それでもいいと思った。ありのままの自分を嫌う人はいらない、等身大の自分を受け入れてくれる人とだけ仲良くできればいい。そう思うようになった。

そうしたら、浅い関係の人は離れていったけど、逆にそんな私が大好きって言ってくれる人にも出会えて、今は大好きな人としか絡んでいない。「ありのままの性格悪い自分を出して、毒も思いっきり吐いて、それで離れていく人なんて、それだけの関係なんだよ!」って思ってるから、誰彼構わず、ゲスな自分を出してる(笑) 

「自分の腹黒さ、心の醜さ」に気付くきっかけを与えてくれたワーホリ、ホント最高!行かなかったら、今でも誰にでもいい人ぶる自分だったかもしれないと思うと、ぞっとするよね。(笑)

 

③思ったことは口に出さないと気が済まないタイプって思い出した。

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②と似てるんだけどね。私、ホントはめちゃくちゃ表も裏もないタイプの人間だった。思ったことは全部口に出していた。特に、小学校高学年の時はそれが顕著で、それで友達と揉めたり、泣かれたりした。何がダメなのか、よく意味が分からなかったけどね。

 相手に後からネチネチ言われても、「なんで?イヤならその時私にハッキリ言えばいいじゃん。相手がイヤがってるって理解すれば、ちゃんと謝るし、それ以降は言わないようにするのに」って思っていた。ええ。典型的な空気読めない子です笑 

そんな私が変わったのは、小学校の高学年~中学1年生にかけて。今でもはっきり覚えている。思い出すだけで吐き気がするし、やばい、、今でもこの話題になると涙腺が緩みやすい(:_;)

 

その頃は、当時の担任の先生と揉めに揉めて。先生が「何か気になることがあったら、言ってくださいね」って言うから、私は帰りの会で「先生、先日このようなことを言ったように思いますが、今日はこう言っていたので、それはおかしいと思います」的な発言をした。

そうしたら、、、その先生、顔を真っ赤にして、激昂。教室で、みんなの前で、死ぬほど怒られた。

「おいおいおい!自分の意見を言ってよかったんじゃなかったのかよww」驚きまくるワイ、当時11歳。

当時の私は、「社交辞令」とか「建て前トーク」とか、マジで一切理解できていなかったからw当然、先生のダブルスタンダードなど、読み取ることはできなかった。←いや、今でも、他人の建て前とかよく分かんない(笑)

速攻、親呼び出しの三者面談。何が悪かったのか、よく分からず、焦るワイ。

 中学に入ってからも、なんか知らないけど、私が先生に思ったこと全部言うたびにマッマが呼び出しを喰らっていたし、自分自身、教師に不必要なまでに怒られるのに疲れきっていたので 

「あ、、、もう本音を言うのは止めよう」

 という結論に達した。もうマッマが学校に呼び出されることはなくなった。

母親が担任に呼び出されなくなり、平穏無事な学園生活を手に入れたのと引き換えに、私はもっともっと大事なものを失った。

 

私は、自分自身を失ったのだ。

 

思っていることを口に出したい性格なのに、先生に怒られるのが怖くて、本音など、一切口に出さなくなった。心に浮かんだことなんて、無視無視。黙っていよう。その方が「得」だもん。これでもう、お母さんが呼び出されることはないもん…。そう思っていた。

今こうして、客観的に見ればよく分かるのだが、そんなのはもう、私ではない。私の皮を被った、他の誰かだ。そりゃそんな別の誰かを演じていれば、生きていても虚しいし、感性も鈍る。

みごとに私の心は貧弱化し、どんどん自分と心がつながれなくなっていった。「自分が本当は何がしたいのか」「今、何を感じているのか」が分からなくなっていった。 

でも、その破天荒な日本人女子に出会えたおかげで、私は本来の自分を思い出し、今では思ったことはズバズバ言う、昔の純粋な自分に戻れた。おかげで仕事は一か月で二カ所クビになったけど(笑)全然気にしてない。自分を殺さなければ居られない職場なんて、こっちから願い下げだよ。もう窒息死はしたくないんだ。

昔の、本来の自分を取り戻すきっかけをくれたワーホリ、最高わっしょーーーい(^^♪

まとめ

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私にとって、ワーホリで得たもの=本当の自分。変わったんじゃなくて、元の自分に戻れたんだよね。子供の頃のように、ただひたすら純粋に。

自分の大好きなことだけして、大好きな人とだけ一緒にいて、泣いて、笑って。ヘンにカッコつけなくていい。 

そういう生き方していいんだ!!って気付けた。そんな、ワーキングホリデーライフでした。